学生時代の友人の証言の中の彼や街頭演説や一部番組での彼は別人のように好感度の高い人物である。どちらが本当の顔とかそういう話ではなく、自分側・仲間とみなした人間に対しては好人物だが、敵だとみなしたり、愚かだとみなした人間に関してはあのような無礼でバカにした相手の人格を踏みにじってもいいと思っている人だというというだけの話かもしれない。わざとやっているかとか、本音だとかは実際のところ問題ではなく、あれができていること自体に疑問を感じるのだ。
非常にシンプルに纏まっている。
この記事で語られている石丸さんの特徴は、本当にだいたい三沢さんと同じなので、ある種の理解されにくいが非常にやっかいなパーソナリティ類型というものがあることがわかる。
そして、彼のおかげで、三沢さんの厄介な性質を今後は他人に説明をするのが楽になると思う。
1 相手の善意や悪意を「本人の根拠レスな感覚で決めつけて」それによって露骨に態度を変える
自分の言動をミラーリングであり善意には善意で敵意には敵意を返していると主張し、雑な質問にはそれ相応の対応をするとも言っている。
しかし、それを善意だとか敵意だとか雑だとか決めるのは石丸氏で、あくまで主観でしかない。その判断が絶対に正しいわけではない。
「老害」や「マスゴミ」を石丸氏があのような振る舞いでやっつけるのが痛快だと感じ彼を支持している人も、石丸氏の判断によって自分があのように扱うべき存在とされ、あのように応対されたらつらいだろうと思う。
これは三沢さんあるあるである。
というより、基本的に「自分が決めつける権限を持っている」と勘違いしている人はみな危険なのである。
三沢さんのツイートを見てみると、彼のツイートの多くが
「根拠がほとんどないのに自分の感覚だけで相手が◯◯であると決めつけて、その決めつけに基づいてジャッジしているからだいたいとんでもなくズレたことをいう」の具体例がやまほど出てくる。
ところがそういう害悪な要素は普段からずっと見てないとわかりにくいのだ。
でも、これも「彼は石丸さんと同じくらい無茶苦茶な決めつけて露骨に態度を変える」と言えばある程度伝わるだろう。
敵意を感じたら敵意で返す。人間としては普通の感情だが、
話し合うことで相互理解が深まり良い結果がうまれることもあるし、敵意だと受けとっていたのが自分の誤解でしかないかもしれない。
感情的に反発してしまったことが、本当は相手に理のあることかもしれない。そういった可能性から生まれるものを全部根絶やしにするのが石丸氏が敵対者だとみなした人に対するやり方だと思う。
石丸さんを通じて、今回こういう態度のヤバさをみんなが知ってくれたと思う。
おかげで、三沢さんの何がヤバイのかについて「三沢さんってこういう人なんですよ」と一言で説明できる。
2 三沢さんは「極端に」人によって振る舞いを変える
三沢さんは人によって極端に振る舞いを変えるのだがこの害悪性も今後は説明が楽になりそうだ
まぁ三沢さんは石丸さんほど「好感度が高いふるまい」は上手ではないが。
相手によって、状況によって態度が変えられる人だというのがわかる
今までは、これを指摘してもみんなやることであって当たり前じゃないかという反応が返ってくるだけだった。
なぜなら「極端に」の部分が伝わりにくかったからだ。
普通の人は石丸さんほど極端に相手によって変える態度を見たことがないからイメージがしにくかったからだ。
だが、今後は「彼は石丸さんと同じくらい極端に態度を変える」ということを言えばある程度伝わるだろう。
具体的にいうと、彼は2024年の1月の時点では私に大切な本の原稿の下読みを依頼するくらいこちらに懐いていたし
3月には「◯◯さんのことは信じられないがよしきのことは信じる」的なことをDMで言っていたのに
わずかその半月後には「ずっと昔から不倶戴天の敵だった」みたいなことを言い出して
他の人にもDMで私の悪口を言っていたことを確認している。(とうぜんその会話のスクショも確保済みである)
ちなみに石丸さんはまだマシな方である。
なぜかというと目上の人にはそれなりにちゃんと対応できるからだ。
三沢さんはもっと極端で、自分が上においてもらえないとすぐ不機嫌になる。
①境界性パーソナリティにとって人間とは「敵か家来」のどちらかである
②好き嫌いが極端で、かつそれが些細なきっかけで頻繁に入れ替わる。「豹変」といっても良い
③境界性パーソナリティは「遠くから見ている分には」魅力的に見える
④親しく付き合うとその感情の切り替わりの激しさに振り回される
⑤「愛着障害」や「見捨てられ不安」を抱えていることが多い
⑥境界性パーソナリティ自体はあくまで個人の偏りであり、そこから生じる二次障害が深刻
3:気に入らない相手を貶めようとして常習的に嘘を付く
続ける。三沢さんの一番厄介な点は常習的にウソを付くことである。
彼は言い負かされたりまともに議論ができなくなってもそれを認めない。それどころか、議論で勝てなくなると、すぐ場外戦略を取ろうとする。
具体的にいうと、エアリプで「嘘をついて」他人を貶めることで自分が優位に経とうとするのだ。
これがめちゃくちゃ迷惑なのであるが、彼の迷惑さがこれまた今まで他人に伝わりにくかった。
対立や議論は必要なものだと思うが本筋からはずれた部分で相手の人格を踏みにじるようなやり方はどうかと思う。それは限度を超えていると私は思う。
自分と意見が違う、自分に批判的だというだけで相手の尊厳を踏みにじるようなことをしていたら、相手の恨みを買うだけだし、まとまるものもまとまらなくなってしまうだけではないだろうか。
しかし、これも石丸さんのお陰でその害悪さが今後は伝わりやすいと思う。
石丸さんは、印刷会社との訴訟の二審で負けた後「自分の非を伏せて」「相手だけが割るものであるように印象操作する形で」相手の印刷会社の氏名を出してファンネルに攻撃させようとした。
これがあまりに醜悪すぎて今一番叩かれている。長谷川豊にすら批判されている。
ここまでやる人はあまりいないのでみんなも唖然としたことであろう。ところが、こういうことをやるのは石丸さんだけではなく三沢文也さんもなのだ。
こういうことをやられるとこちらも自衛にとても手間がかかる。
せめて彼が堂々と事実に基づいてこちらを批判するだけなら、放置することもできる。
なぜならこちらが悪いことをしなければ相手には攻め手がないからだ。
しかし嘘というのは制約がない。ほうっておくとどこまで膨れ上がるかわからない。
だからとりあえず彼が常習的な嘘つきであることは普段から示しておかないと、それを信じる人がでてきてこちらが悪者にされるリスクが有る。
もう無視したいのに、彼が嘘を付くせいでいつまで経っても相手をしなければいけない。
しかも、自分がその種を巻いていて、「私はあいつらに監視されている」と被害者ぶるのである。
お前が嘘をつきさえしなければお前のことは無視できるんだよ!ウソを付くのだけやめろよ!と100回くらいいいたい。
4 それほど頭が良いわけじゃないのに、なぜか自分の思いついたことをろくに検証もせずに絶対的に正しいと思い込む
自分は賢くて正しく、相手は愚かで間違っていると思っているような印象を受ける。それを教えてやっていると本人は思っているような印象を受ける。あえて、ああいう態度で教えてやっていると本人は思ってるのかもしれないが、何度も言うが、ああいうのは誰であろうとやっていいことではないとも私は思うし、彼が絶対に正しいわけではないわけで自己の正当性を疑わない傲慢さを感じてしまう。
はっきりいうと三沢さんはアホである。