朝井リョウ『正欲』メモ  多様性という言葉はなぜ薄ら寒いのか


「お前らが大好きな”多様性”って、使えばそれっぽくなる魔法の言葉じゃねえんだよ」



──ダイバーシティフェスのテーマは、”繋がり”なんですというが、
本当に繋がりたい相手とは、あんな場所で堂々と手を挙げて存在を確認し合えるような人ではない。誰にも見られていない場所で、こっそり落ち合うしかない誰かなのだ。
大学のダイバーシティフェス実行委員は「多様性を認めるのならば、我々はペドフィリアを認めるべきなのか?」という問いに向き合ったことすらない。社会的にある程度認められた少数派を何となく後押しするだけの「ダイバーシティフェス」が薄ら寒くなるのは必然なのだ。



多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉のはずだ。時に吐き気を催し、時に目を瞑りたくなるほど、自分にとって都合の悪いものがすぐ傍で呼吸していることを思い知らされる言葉のはずだ。



こっちはそんな、一緒に乗り越えよう、みたいな殊勝な態度でどうにかなる世界にいない。
マイノリティを利用するだけ利用したドラマでこれが多様性だとか令和だとか盛り上がれるようなおめでたい人生じゃない。
お前が安易に寄り添おうとしているのは、お前が想像もしていない輪郭だ。
自分の想像力の及ばなさを自覚していない狭い狭い視野による公式で、誰かの苦しみを解き明かそうとするな。



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